義足の種類は機能面で3つに分類することができます。常用義足、スポーツ用義足、そして装飾用義足です。装飾用義足は本物の足に見立てた義足のことで、ファッションを楽しむという観点でコスメティック義足とも呼ばれています。今回は、外観重視の装飾用義足について語ります。

石川さんは装飾用義足をご存知ですか?



知っていますよ。なぜなら装飾用義足を作らないかと薦められたことがあるからです。



それはいつごろの話ですか?



千葉リハにいた頃なので20年以上前になります。「歩くための義足ではなくて装飾用の義足、いる?」と聞かれました。そもそもそういう義足があるんだなぁと驚きました。



そのとき、装飾用義足を欲しいと思いましたか?



思いませんでしたね。歩くための義足だったら欲しいけど、隠すためのものだったらいらないなと。



過去の対談でも少し触れていましたが、足を晒すことに抵抗はなかったのですか?
(関連記事;切断者を見る目、【対談】大腿義足ユーザーGisokuReysolさん)



僕は抵抗ないですね。でも、社会経験を重ねるにつれて、「装飾用義足があってもいいのかもなぁ」と思うようになりました。
例えば仕事関係などで大事な人と会う局面があります。そのとき足がない見た目を相手に気にさせない(気を遣わせない)ようにしたいと思うことがあります。相手からみた見栄えをこっち(切断者側)が配慮するということです。そういった場面では装飾用義足があってもいいかな、と思いますね。



なるほど・・・。義足をつけてしまえば足があるように見えますからね。装飾用義足は、周囲に違和感なく溶け込むための道具みたいなものでしょうか。



そうですね。やはり両大腿切断者はインパクトが大きいので、9割以上の一般の方は見た瞬間に一瞬怯みますよ。(笑)だいたいの人は顔が強張るので、「あ、足を見た瞬間怯んだな」って。その一瞬の反応っていうのかな、それがこちらは良く分かります。
装飾用義足は、周囲のそういう反応を未然に防ぐためのツールですね。あとは装着する人によっては自信を与えてくれるもの、でしょうか。
ちなみに装飾用義足を薦めてきたのは多くが女性でした。普段から化粧やお洒落など見た目に気を遣う意識が高いからかなぁ。



でもですね、なんだか違和感を覚えます。歩くための義足を作っている最中なのに、歩く機能を持たない義足を薦めるのって、何か矛盾していませんか?歩けないことが前提のようで・・・。
あとは本人が望んでいないのに装飾用義足を薦めるのは「足を隠したほうがいい」と言われているようで、あまり良い気分ではないと思うのですが。如何ですか?



まぁ屈辱的ですよ。障害を隠すことが当たり前で、切断者自身が障害はタブーなんだなって思わされますから。当時は特に周囲の人間にとって切断した足を見ることはショッキングなことで、まるで「見せるな隠しておけ」と言われているかのように感じました。



義足で欺くという記事でも周囲の人に見られる話をしましたよね。装飾用義足をつけていたら、視線を回避することができるかもしれません。そういった点についてはどう考えますか?



一瞬しか会わない人にはいいかもしれませんが、関係のある人に対して切断者であることを隠していたとしたら・・・バレたときを想像すると怖くないですか?たとえば集団の中で1人にだけに知られたら、たぶん瞬く間に「あの人、足ないよ!」って広められますよ。



確かに後バレの方が精神的にきついかもしれません。自分を見る目が一瞬で反転してしまう怖さがあります。



そう。だから、それだったら最初から「あの人=足がない人」とリレーションを張られていたほうが僕はいいかなぁ、と思います。
これ、健常者の人も是非考えてみて欲しいです。切断者に限らない見た目の問題。乳がんで胸がない場合や抗がん剤治療や遺伝的要因で髪がない場合なども同じ。
隠すことが悪いとかそういうことではなくて、隠していても隠さなくても、世間の目や態度がひややかで怖いものに変わりはありません。逆に過度に心配されたり気にされたりするのも、当事者にとってはつらいものです。



抗がん剤治療後でウィッグをつけている知人が、「いろんな人に綺麗な髪だね~っていわれて、これカツラですよって返すんだけど、そのときの反応がおかしくってさ・・・」と話してくれたことがありました。自虐的な雰囲気で、相手や世間の反応が「面倒」「しんどい」っていうニュアンスをひしひしと感じましたね。
蛇足ですが、yahoo!ニュースで外見に関する記事があがっていました。コメント欄含め、とてもいい内容だと思います。ぜひご一読を。



日本リハビリテーション工学協会主催の講演会にて発表された論文ですね。ご本人の希望で装飾用義足を作ったことが書かれていますね。



要約すると「作った装飾用義足が結果的に機能性も兼ねていた」という内容ですね。チャレンジした歩行用の義足については触れていないので、歩くことは諦めて見た目だけでも元の通りにしたかったのかなと想像します。



そう。その論文を見たときに、ケニー・イースタディという人物を思い出しました。
ケニーをご存知ですか?80年代に映画とかCMに出演していた下半身を切断している男性です。



初めて知りました。先天性かと思いきや、切断者なんですね。



うん。彼は装飾用と常用どちらの義足も製作した経緯があるそうですが、結局履かずに生涯スケボーで移動していたみたいです。
通学時や外食時は、周囲の人々を脅かさないようにとの配慮から下半身を模した義足も用意され、この義足をつけて車椅子に乗ることもあったが、本人は自由が束縛されるこの義足を非常に嫌がり、もっぱら義足なしで両手で動き回ることを好んだ。「一番嫌いなこと」との問いに「義足の練習」と答えたこともある。
Kenny Easterday‐Wikipedia



そういえば装飾用義足を履いている人を見たことがないです。車椅子の人の足をまじまじと見ることがないので、気付いていないだけなんでしょうか?どれくらいいるのかなぁ。
憶測ですが、使えない(機能をもたない)義足ならいらないと思う人が大半なんじゃないでしょうか。



僕も見たことないなぁ。でも、もしかしたら実はすれ違っていて気付かないだけかもしれない。高齢者に多いのかなぁというイメージです。
常用義足(仮義足)を作って退院したけど、うまく歩けなくなって結果的に装飾用義足みたいな扱いになっている人は多そうですけどね。
でも、結局煩わしくなってつけなくなると思います。重いし邪魔だし不便ですから。



利便性は重要ですよね。髪を補填するウィッグ、視力を調整するメガネ・・・これらは慣れていくかもしれません。
でも、装飾用義足は圧倒的に不便ですよね。着飾ったり隠したりというメリットが霞むほどデメリットが大きいというか・・・。特に両大腿義足の場合、車椅子を漕ぐのも移乗するのも一苦労ですよね。
装飾用義手も装着する手間や重さなどの不便さがあると思いますが、義足ほどではないと思います。



たしかに両大腿義足をつけたままの移乗は大変です。メガネのように慣れるものでもないし。
義足って「異物」と同じだと思いませんか?
仮に健側が普通だとしたら、義足は特殊で普通とは違ったものだし、違和感を与える奇異なものだとも思います。それと体に馴染まないという意味でも、僕はこれはやっぱり異物なんだと思います。
異物なので、装飾用だろうが常用だろうが、ずっとつけているのが辛いのは当然なんですよ。その上で、歩ける常用義足という異物なら、辛さや不便さにはある程度は目をつぶって受け入れる努力をします。歩けるという引き換えにね。でも装飾用は断端を隠すだけで歩けませんから。あるのは異物という現物だけなんですよ。
これは個々の考え方であくまで個人的見解ですが、そこに僕の尊厳はないです。
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