短断端と言われて

両足を切断したあとの残った足を断端といいます。短断端とは文字通り断端が短いことで、下肢切断者が義足歩行をする上で障壁となることがあります。脆弱な皮ふや骨突出などの身体機能は義足歩行において”難しい条件”として挙げられますが、そのなかでも短断端は特に難しいと考えられます。そのゆえんは、テコの長さが短いこと、股関節の外転および屈曲拘縮を伴なうことが多いからです。義足歩行のパフォーマンスは断端の長さによるといっても過言ではないほど。
両足ともに短断端の石川さんに、ご自身が短断端ということをどのように捉えていらっしゃるのか聞いてみました。

kyo

自分の切断した足が、他の切断者と比べて短いと知ったのはいつごろですか?

Ishikawa

実は5年くらい前なんです。義足で歩くことの重大さをようやく知った感じです。

kyo

ということは、過去に失敗した二度のリハビリの際には自分の足が短いとは思わなかったということですか?

Ishikawa

はい。残った自分の足は短いなぁと思ってはいました。でもリハビリの際は切断者がほとんどいなかったので、比べることもなかったですね。PTもそのことについて触れませんでしたので、そこまで自分の足が短いとは思わなかったです。

kyo

自分が短断端だと知ったときの気持ちを教えてください。

Ishikawa

自分の目で毎日見ている足だから「やっぱり」と思いました。人から見ても短く感じるんだなぁと。でも「歩けるんだよね?」ってどこかすがるような気持ちでした。

kyo

断端が人よりも短いことが何を意味するのか、解っていなかったということですね。では、他の切断者が義足で歩いているのを実際に目の当たりにして、その意味を知ったのでしょうか?

Ishikawa

そうですね。ありとあらゆる動作が不利になるんだと痛感しました。
義足で立っているときの情報の少なさ、歩幅の大きさ、疲れ具合など・・・。
ある日、リハビリで色んな義足ユーザー達と一緒に外歩きに行ったことがあったんです。メンバーは下腿切断、大腿切断、股離断。健側ありの義足ユーザーです。みんなは余裕そうに歩いているんですよ。その様子を見て自分と比較して、「これが両足短端断のデメリットなのか」と改めて不利だと思いました。疲れ具合が全く違うんです。

kyo

エネルギー消費の激しい短断端の宿命なんでしょうか・・・。
(関連記事;両大腿義足ユーザーのエネルギー消費

Ishikawa

理学療法では左足に関してはほとんど触れられませんでした。「(断端が)短すぎるから機能も何もない。やる必要ない。」と言われました。
以前にも書きましたが、左の歩容や部品選択などが特殊なのは、すべて短断端が理由です。(関連記事;両大腿切断者にきいてみた①

kyo

石川さんが両足義足で歩くためには仕方のない選択なんですね。でも、諦めきれないことや割り切れないことなどありませんか?

Ishikawa

自分の最初の理想が図々しくも高かったので、やっぱり最初は割り切れなかったですね。たとえば膝なんて歩ければ何でも良いけど、せめて左右揃えてほしかったとか。(笑)でも短断端の場合は様々な場面で割り切りが必要ですよ。諦めきれないと思うことでも短断端の場合は諦めないといけないんです。

kyo

自分よりも短断端で歩いている人をどう思いますか?

Ishikawa

両足で短い場合ですよね?
・・・見たことも実際に存在しているかも知らないので、もしいたら凄いです。
これ気付いた人いるかな?パラリンピアンの義足ユーザーに短断端っていないんですよ。よく見てみてください。みんな断端が長いから。それだけ短断端は厳しい条件なんだと思います。

kyo

裏を返せば、「断端が長ければ歩ける」のでしょうか?

Ishikawa

諸々の条件が整っていれば、断端が長ければ歩ける!これは断言します。だから、断端が長いのに歩けていない人はなぜか?という原因を、提供者やユーザーは疑問を抱いてちゃんと考えなければなりません。


kyo

YouTubeで両足極短断端であろう人を見つけました。おそらく国リハでのリハビリの様子ですね。

Ishikawa

両足股義足ですよね。あれは驚きました。僕も3回目のリハビリを開始する際に、提供者側から義足歩行は無謀だと思われていたので、自分と重ねてみました。
健側のない股義足の歩行って想像できますか?僕は想像できます。立つことはできるんですよ。むしろ両大腿義足より安定しているはず。でも歩くとなると、腰を回して歩くのでバランスが取れない。だから歩行器に頼るしかないんですよ。僕は左が股義足だった頃は1cmの段差も乗り越えられなかったんですけど、この方もきっとそうだろうと想像します。平行棒を支えている床のマットですら乗り越えるのが困難でしたから。

kyo

私はこの動画を見て、「この人のリハビリの意義はなんだろう?ゴールはどこだろう?」と思いました。
ただ義足をつけて歩くだけ?健康維持?義足で社会復帰?・・・どの選択肢にしても辛すぎます。動画で歩いているご本人は、きっと歩けるようになると期待しながらリハビリを進めているのではないかと想像します。

サービス提供者側は、ある程度の成果を出す自信があるのか、かつゴールを見据えてリハビリをしているのか少々気になるところです。興味本位や研究目的でリハビリを進めるのは間違っているし、この方が義足を使うことで何を得るのか・・・お節介かもしれませんが、真剣に考えた上で進めていかないと、時間や労力・お金や義足を無駄にしてしまうかもしれません。

Ishikawa

そうですね。失礼を承知で言わせていただきますが、きっとこの方の義足歩行に実用性はないと思いますよ。歩行器を使ってどこを何のために歩くのか。散歩にも行けないし、もしかしたら部屋からも出られないでしょう。歩くための義足の適応にも限界があって、僕は両足股義足は移動手段には到底なり得ないと思います。
たとえご本人は歩きたい、サービス提供者は歩かせたい。利害が一致していたとしても成果は伴わないという厳しい一例でしょう。

kyo

石川さんは両足短断端という厳しい条件でも、歩く理由や意義を見出していますよね。
人としての尊厳、健康維持など・・・過去の記事に書かれていました。
それが知れたことは、いわゆる義足リハビリのゴールを達成したとも言えますか?

Ishikawa

そうですね。歩く意味を自分なりに知れたことで、もう十分僕自身の義足リハビリのゴールは達成できたと言えます。その上で、今では自分の子と歩きたいっていう新しい目標もできました。
人によって歩く理由は様々でしょうけど、僕の場合は今までの移動手段である車椅子の他に「義足」という新しい移動手段が増えたので、人生に彩りを添えられた意味でも良かったと思っています。

kyo

どこにゴールを設定するか、たくさん足掻いたり悩んだりしたのでは・・・。
両大腿義足ユーザーはゴール設定や日常生活での義足使用について、真剣に悩んでいる人が多いのではないでしょうか。石川さんのこれまでの記事や言葉が励みになる人がきっといると思います。

Ishikawa

僕は歩けることを見せびらかしたり自慢したいという気持ちは全くないんです。本当に全くない。
一般人からしたら「両足義足で歩けてるんだ、ふーん」くらいにしか思われていないだろうし、今の時代はもう「義足=珍しい」っていうものでもない。
僕はただ自分や家族のために歩いているんです。
その歩いている様子や僕の考えを発信して、それを見たひとの何かが変わるきっかけになればと思ってやっています。いつまで歩けるかは分からないけど、できるだけパフォーマンスを維持して、これからも歩き続けられるよう努めていきます。

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