さまざまな障害をみてきて

当ブログでは「さまざまな障害」と題して、切断や義足と関連のある疾患・障害について語りました。
このシリーズ記事を石川さんが読み、障がいをもつ当事者としてどう感じたか、また実際に関わったことのある人々の話も交えて対談形式でお送りします。

kyo

第一回は脊髄損傷について語りました。ストーリーでも脊損の方と会話しているシーンがありましたね。どんな印象をお持ちですか?

Ishikawa

個人的に脊損の人は暗い印象があります。僕がこれまで出会った人の中で「歩けなくても仕方ない、まぁいっか。」と開き直れていない人が多かったです。中には明るい人もいましたが、とても悲観的な人ばかりでした。それほど麻痺は人を水っぽくさせてしまう障害というか・・・表現しづらいですが、切断者の雰囲気とはまた違います。

kyo

私も数名の方と話したことがありますが、なんというか・・・色々なことを諦めている雰囲気がある一方で、「足が動かない」ことをどこかで認めていないような、諦めがつかないといった感じが見受けられました。

Ishikawa

やはりそれは足があるからでしょうね。
もし脊損の人の動かない足がなくなったら、その人はどう感じるのかなぁ・・・興味深いです。動かない、重たい両下肢がなくなった場合、移乗や床ずれなど物理的な観点だけではなくて、心理的にも楽に感じるんじゃないかな?と思います。ただの憶測に過ぎませんが。

kyo

足が動くことを期待しなくて済む・・・ということですね。

Ishikawa

以前勤めていた会社には脊損の方が多くいました。
ある雨の日、駐車場で運転席に移乗しているのを見かけたのですが、かなりの時間と労力がかかっているように見えました。ぶらさがっている両足を持ち上げてなんとか乗り込んで、シートをリクライニング後、そこから車椅子を持ち上げて後席に積み込んで・・・と。
会議の時にも突然足が痙攣して必死で抑えていたり、尿道炎にかかって高熱を出して次の日会社を休んだり。そういう方を見ていて、本人もその周りの人も悩みが尽きないだろうなぁと思いました。もちろん、切断者も多くの悩みを抱えて生きていますが。

kyo

合併症の多さ、それに付随する生活面での不自由さは、健常者の私には計り知れない苦悩があると思います。当事者にならなければ本当の意味での理解はできないだろうな・・・。それはどの疾患や障がいにもきっと当てはまることですよね。

kyo

第二回は糖尿病について語りました。この記事を読んでいかがでしたか?

Ishikawa

糖尿病を患っている知人たちと重ねて読んでいました。
なんというか・・・もっとキツく言ってもいいのかなと思いました。酷なようですが、国の医療費の負担になっているのは事実ですし。

Ishikawa

僕の知人はみんな好きなものを食べて好きな生活して言い訳ばかりで、「病気を良くしよう」と頑張っている人が一人もいませんでした。
糖尿病で治療しているのに、自販機でジュースを買って昼食後にファミレス行ってパフェ食べて、先生に怒られたって文句言って。それで目が見えない!と騒いで病院に駆け込んだりしているんですよ。
先天性ではなく生活習慣でこの病気を招いている人は、自分に甘い人が圧倒的に多いと感じました。努力しても無駄って諦めている印象もありましたね。

kyo

糖尿病は治るものではないから、努力が実にならないと思っている人は多いでしょうね。ついに足を切断したり目が見えなくなっても、どこか自分のことを他人事のように捉えている人もいます。

Ishikawa

糖尿病による切断は事故による切断とは違って避けられたはず。僕からしたらそう思うのですが、本人たちは生活習慣が乱れていること自体に気づいていないんです。だから本人達からしたら、(切断は)仕方なかった、どうしようもなかったと思うものなのかもしれません。

kyo

支援する医療者や周囲の人は本当に大変だと思います。ある意味糖尿病の人は依存症患者と似ていて、「やめられない」ことが根本の原因なのかもしれません。体質や食文化なども関与していますが、最終的にはその人の意思ですから・・・。あとは周りの協力も不可欠ですね。

kyo

第三回は骨腫瘍について語りました。実はこの記事が本シリーズで一番閲覧数が多いんです。

Ishikawa

先ほどの糖尿病とは訳が違う疾患ですね。足を切断したからといって転移や再発のことを考えると、きっと安心できないでしょうね。

Ishikawa

骨肉腫の場合、必ずしも生命の危機が迫っていて切断に至る訳ではないそうです。足を切ったほうが痛みから解放されたり、(義足のほうが)歩きやすいという目的で下肢切断に至るケースもあるようです。がんが発生する部位や進行具合によるそうなので、人によるんでしょうね。
いずれにしても、先を見据えて切断するという決断を僕は支持します。

kyo

骨肉腫を若いときに発症し、親などの近親者が切断を拒否してしまうケースは多いと思います。確かにわが子の身体の一部が失われるのは相当ショックなことですが、今後の人生を考えたらエゴでしかないですよね。

Ishikawa

疾患による切断の場合は、まだ「選択できる余裕や猶予」があります。外傷や事故・武器による下肢切断と比べると、精神的な負担は少ないと思いますよ。いきなり失うよりも心の準備ができますからね。

kyo

そういう観点からいくと、第四回で語ったうつ病で足を失った場合・・・要は自殺を失敗した末に下肢切断に至った場合は、どういう心理状態に陥ると想像しますか?

Ishikawa

死ぬ覚悟があったのに生き残ってしまったんですよね。そういう人って、そんな状況になったらきっとまた自殺をしようとするんじゃないかな。自殺する手段の中でも電車による事故は複雑な切断になるケースが多いというのがまた悲惨ですね。
まぁどの疾患でも思うのが、絶対に片足よりも両足切断の方が大変ですからね。義足を履く・履かないは関係なく。

kyo

義足を履かない車椅子の生活でも、やはり片足切断よりも両足切断は大変ですよね・・・。両足切断者のなかでも、膝の有無はかなり重要だと思うので、両大腿切断は究極だなぁと思います。

Ishikawa

僕はすべてにおいて片足切断者の方が軽いと思っています。
出来ることと出来ないことの割合が、片足大腿切断と両足大腿切断の場合ではぜんぜん違います。
当然、両足大腿切断の方が出来ないことの割合が大きい。だから、生きていく上で諦めざるを得ない場面が多くなります。今まで当たり前にできていた動作が一生できなくなったり、気にもしていなかったことが気になりだす。
いっぽう、片足切断者は出来ることの割合が大きい。諦めないといけない場面が少ないから、メンタル面でも楽なんです。

kyo

石川さんが思う片足切断と両足切断の違いは、具体的にどんな場面で現れますか?

Ishikawa

例えば義足で歩いていても、疲れたら健側に頼ればいいだけです。生活する上でも車椅子なしで大抵のことはこなせます。よって、周囲の取り除く物理的なバリアも少なくて済みます。人によっては健常者と同じように暮らせるくらいです。
運動面でも、片足で車椅子を蹴って漕いだり上体を起こすときに踏ん張ったりもできる。人によってはMTのバイクにも乗れるくらいだし、スキーだってできる。

kyo

なるほど。運動面・機能面ではかなり差が生じるんですね。精神面もそれに付随するような感じでしょうか?

Ishikawa

そうですね。たとえば片足が残っていれば、「こんな感じだったな」と足があった頃に想いを馳せることもできますし。それに元の身長のままでいられるから、片足立ちすれば視線も切断前の高いままです。これは生きる上での自信にも繋がるし何より気持ち的に安心できます。しかし両足大腿切断者で義足を使用する場合、断端長にもよりますが多くの人は元の身長には戻れません。地面から自分の力で(義足で)立ち上がれないといけませんからね。それと、幻視痛も片足がある人のほうが軽い傾向にあります。

Ishikawa

だから、片足切断と両大腿切断とでは同じ切断者でもカテゴリーが違うんですよ。両大腿切断で生きていくのは、メンタル面においても相当厳しいということが分かっていただけるかと思います。
その事実を踏まえた上で僕から言わせれば、片足切断者は「生活する上ではそれなりに不便だろうけど、そんなに不自由はしてないでしょう」ってことです。

kyo

同じ切断者でも、きっと片足切断の人からすると想像もつかないことでしょうね。「片足だけでも残ってよかった」と思う機会もなければ、両足切断の人もいるんだ・・・と、遠い存在としてまったく気にかけていない人も多くいると想像します。

Ishikawa

片足切断の人を見て率直に、「片足が残っているからいいじゃん」と僕は思うんですが、当本人はそう思わない人が多い。
「片足がなくなった。不自由している。健常者と同じ扱いをされてつらい。」など卑屈な方向に思考が傾いてしまう人が多いです。
逆に切断した事実を美化して大げさに振舞う人もいます。「普通に生活できるしスポーツだってできます!足がなくてもしあわせ!!」とかね・・・それもどうかと思います。最近SNSで、またはマスメディアに取り上げられているそんな義足ユーザーを散見しますが、とても滑稽です。ビジュアルが良かったり切断部位によってはインパクトがあるように見えるので、健常者からは同情もされるだろうし、きっと一般受けしやすいんでしょうね。

kyo

「命があるだけでよかった」。はじめはそう思えていたとしても、生きていくうえでさまざまな障壁にぶつかって「〇〇がなかったら」「〇〇できれば」と思ってしまう。それが人間の性なのかもしれません。

kyo

同じ疾患名でも障がいはひとによってさまざま。このことを特に健常者の人たちに知って欲しいなと願います。
切断者をみて「事故でしょ?」とか安易に聞いてくる無神経な人が絶滅しますように。

赤裸々な対談となりました。さまざまな障害シリーズはこれで終了となります。
この記事が障がいについて考えるきっかけとなれば幸いです。

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