20話「兆候」

前回:19話「切迫」

1996年2月
昨年の9月頃から両足の断端に違和感を覚えるようになった。まだ身長が伸びていたのか、少しずつ大腿骨の先端が尖ってきた。そのせいで義足を履くたび断端に痛みが生じるようになり、義足を履いていない日常生活にも支障が出てきた。右足は皮膚の上から骨を触ると尖っているのが分かるほどで、常に断端が突っ張っていて気持ちが悪い。左足については、動かすたびに大腿骨の角が内側から組織をえぐるので、違和感と強い痛みを伴った。
年が明けて間もなく長生病院で診察を受けた。その結果、このまま放置しておくと右足は骨が皮膚を突き破るかもしれないとのこと。左足については骨の角を落とす必要があるらしい。そこで急遽、両足の大腿骨を削る手術を受けることになった。
切断した足の手術痕から再切開し、骨を削って再縫合する。それを両足に行うという今回の手術。事故で足を切断した時は、1年も経たないうちにまた足を切る(開ける)なんて予想もできなかった。医師によると、両足を切断した当時は、今後伸びてくる骨を考慮し形成してから縫合するなんて時間はなかったそうで、ぶった切って縫合しただけだったらしい。だから年齢を考えれば、遅かれ早かれこうして骨が伸び、それによる不都合が出てきても何ら不思議ではないとのこと。
ということで、長生病院に2度目の入院をすることになった。傷が治るまでの約1ヶ月間は、千葉リハでの義足リハビリはお休み。

それから約1ヶ月後、骨を削ってもらったおかげで断端の痛みも違和感もすっかりなくなり、無事に退院をした。
その後もしばらくリハビリは続けていた。


当時17歳だった僕は、千葉県千葉リハビリテーションセンター(以下「千葉リハ」と表記)で約1年半に及ぶ義足リハビリをおこなったが成果は出なかった。それでも義足で歩くことを諦めきれず、その後、国立身体障害者リハビリテーションセンター(名称は当時 以下「国リハ」と表記)に転院を決めた。

千葉リハの担当医から国リハへの紹介状(平成8年11月21日)

1997年1月
国リハに行くと、まず医師に自分の両足と持参した義足を見せ、ここで義足リハビリが必要かの診察を受けた。それから薄暗い廊下でしばらく待たされたあと、補装具製作棟に案内された。製作棟は本館から少し離れていて、渡り廊下の先にある。移動中にリハビリ室のそばを通ったけど、そこは千葉リハより開放的でとても広く見えた。
やがて製作棟に着くと、テレビで見たあの義肢装具士ともう1人の義肢装具士が僕を待っていた。
そこは質素な部屋で、伽藍とした空間に平行棒が置いてあるだけ。
挨拶もそこそこに、さっそく義足製作の説明を受けた。Aさんというその義肢装具士は、沖縄出身で独特の訛り口調。僕の義足を一瞥するなり、「これでは歩けないよね?」と笑いながら側にいる義肢装具士に話しかける。

しばらくすると、物々しい雰囲気で白衣を着た集団が部屋に入ってきた。平行棒の前で7〜8人の医師らに囲まれ、矢継ぎ早に質問を受けた。そしてその中にいた研修医は、紹介状に書かれている切断に至った内容をしげしげと見るなり、「※☆○になった後に○※△まで受けて○□※を発症・・・?それで良く生きていられたなぁ。」と驚愕していたり、また別の医師は「両足とも切断部位が高いから、移動は車椅子でしょう」など、その場で僕を観察しつつ色々な意見が飛び交っていた。

そんな騒がしい雰囲気を切り裂くように、突然女性の医師が大きく低い声で、

「義足あるじゃないか!自分の義足があるのにここへ何しに来た!!」

詰め寄るような強い口調でそう言う。一瞬で静まり返る棟内。
Tさんというこの医師。とても威圧的で、僕を受け入れたくない雰囲気をひしひしと感じた。

僕は千葉リハで受けた義足リハビリの経緯と、そこで作った義足では成果は出なかったことを話した。その上で、どうしても義足で歩きたいということ。そのために国リハで義足を作ってほしい旨を伝えた。
Tさんは、「千葉リハで出なかった成果をどうしてうちが出せると思うのかを論理的に説明しろ。」と捲し立ててきた。
少しの間があり、続けて冷静にこう言った。
「両足大腿切断者は切断者の中で特に義足歩行は難しい上に、あなたは更に困難なケースなんだ。これまで見てきた切断者の中で、こんなに断端が短い人はいなかったよ。だから義足で結果を出すのがとても難しいの。・・・このまま車椅子でも良いじゃないか。」と、諭すようにとても冷たくあしらわれた。

当時の僕は、僕が歩けないのは義足に原因があるという一方的な考えだったので、自分の義足を見せつつ、悪い箇所を自分なりの言葉で説明をした。そして僕は義足に対しては素人で、理論的に納得させられる説明はできないけれど、現状よりも良くなるためには、ソケットを変更して苦痛を感じない最新の義足を製作してもらえば、きっと成果は出せると精一杯訴えた。

抽象的で説得力に欠ける僕の訴えを聞いたあと、Tさんは何も言わずAさんの方を見て、「やってみたいか?」と単刀直入に聞いた。Aさんは、「若いからきっと歩けるはずですよ。彼の可能性に賭けてみたいなぁ。」と笑って答えた。
そしてTさんは周りの医師らを見渡し、「誰も異議はないね?」と確認をしたあと、僕にここで義足を作ることを了承してくれた。

千葉リハから国リハに移り、なんとか義足製作までこぎつけることができ、僕は歩けるようになる兆しが見えたような気がした。

21話「鬱積」

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