義足で歩く感覚

人は自分の足で歩くときほぼ無意識で歩いています。歩行は意識してコントロールするのはほんの一部で、あとは無意識の一連の動作とのことです。

では、義足で歩く場合はどうでしょうか。
両足義足の僕の場合、義足で歩く感覚とはどんなものなのかを述べていきます。

乙武義足プロジェクトを斬るで少し触れましたが、健常で歩く感覚と義足で歩く感覚は全く違います。彼は「事故や病気などで足を失った人であれば義足をつけることで歩いていた頃の感覚を思い出すことができるが、生まれつきこの体の私にはその感覚がないため、ゼロから獲得するしかない」と語っています。

僕は事故によって足を切断したので、いわゆる後天性の下肢欠損者です。「義足で歩くことによって、自分の足で歩いていた感覚を思い出す」なんてことは、まずありません。健常と義足の感覚はどうやっても結びつきません。それくらい、健常歩行と義足歩行にはギャップがあるのです。

僕の場合、義足歩行は玉乗りしている感覚にとても似ています。
サーカスの玉乗りは一つの大きな球に乗り、球を足で転がしています。
ですが、僕の場合は左右別々の球に乗っていて、球の大きさも左右で異なります。右の球の方が大きくて、左の球はとても小さいです。おそらく、これは断端の長さに起因するものだと考えます。

リハビリ当初はスタビー(短義足)で歩行練習をしていましたが、この頃の左右の球は大きく感じられました。義足長を長くしていけばしていくほど、球は比例して小さく感じられました。これは重心の位置が高くなることで生じるイメージだと思います。

僕の義足歩行は、球の上でバランスを取りながら球を転がして進む、これが非常に近い表現です。
バランスを常に意識しているので、感覚や意識という点でも健常歩行とは明らかに異なります。なので、「歩けるようになるよ」と言われて義足を履くと、「これが歩く?!全然違うよ!」とそのギャップに打ちのめされることになります。

片足義足の人にとっての義足歩行は”漕ぐ感覚”だと聞いたことがあります。それはやはり、片足が残っているからこそできる動作・感覚だと思います。
こればかりは、両足切断をしない限り味わえない感覚かもしれませんが、もし機会があれば、試しに両足に模擬義足を履いてみてください。片足義足の方は、健側に模擬義足を履く想像をしてください。このとき、模擬義足の断端を短い設定にすると、より僕の条件に近い感覚を味わうことができます。

ちなみに僕の断端は右足11cm、左足5cmです。

ある意味、後天性に比べると先天性はとても有利だと思います。

なぜなら、彼らには自分の足で歩けていた記憶がないからです。足があったらこんなこともできたのに…と、過去の自分と比較して落ち込むこともないし、自分の足とのギャップで思い悩むこともないからです。歩き始めた”今の自分の歩き”が基準になるため、義足歩行を獲得しやすいのではないかと考えます。

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