僕は事故にあってから25年間、ずっと車椅子で生活してきました。
義足を履いて歩いている人や、歩かせる立場にある人(PTやPOや介助者)でさえ、車椅子に対してあまり良い印象がないかもしれません。
「車椅子は大変そう。」と言われますが、”大変そう”の具体的なイメージはありますか?
車椅子での実際の生活やその後の人生について、深く考えたことがあるでしょうか?
あなたやあなたの大切な人が車椅子を使う時が来た時、その大変さを思い知ることになるでしょう。
でも、反対に「車椅子は楽だよね。」と言う方もいます。
その通りで、車椅子での生活は、良い面と悪い面があります。
今回はそんな車椅子にまつわる話です。
僕は足を切断してまもなく、車椅子に乗ることを頑なに拒否していました。
絶対に車椅子になんか乗らない!と。
突然両足を失った僕に対して、周りの友人たちは一見変わりはないようでしたが、とても気を遣って接してくれている感じがひしひしと伝わってきました。負けず嫌いだった僕は、これから車椅子生活になるという現実を受け入れたくなかったものですから、足を切ってから退院後の数ヶ月は、家中を這って移動し、階段の昇降や外出時は家族や友人におんぶしてもらっていました。
でも、そんな生活は長く続きませんでした。半年くらい経ったころ、通院などで毎回家族が車椅子を借りてきてくれる様子を見ていたら、「もう足がないんだから諦めよう・・・」と思い、自分の車椅子を購入することにしました。その時は、心が折れたのと同時に悔しかった思い出があります。
当時は義足リハビリがうまくいかず歩けず、義足での人生は一旦諦めました。
その後、車椅子で生活してみると「車椅子ってこんなに楽なんだなぁ」と痛感させられました。もう乗る前に抱いていた車椅子に対する負のイメージは全くありませんでした。
それから20年以上車椅子生活をしてみて、僕なりに車椅子の良い面と悪い面をあげてみます。
良い面
- とにかく移動が楽
- 速く移動できる
- 荷物を載せられる
- 疲れにくい
- 体の向きを車椅子上で変えることができる(両大腿切断ゆえに)
悪い面/大変な部分
- 使える環境が限られる→狭い室内、段差、階段、砂利道、坂道、エスカレーター、人混み、悪天候時は基本NG
- 大きくて困る→車椅子の積み入れが大変、乗りたい車に乗れない、停められる駐車場が少ない、利用できるトイレが少ないなど
- 目線が低くて困る→人との挨拶や会話、調理、会計など
- 着る服が限られる→服の袖がタイヤに擦れる(車椅子によってはスーツガード等がある)、乗り移りと積み入れの際に服が汚れる
- 買い物が大変→買い物カゴが持てない、パン屋やビュッフェも苦労する
- 公共交通機関で移動するとき(手続きを含む)
- 子育て(特に女性は)
- 長時間の使用で支障がでる→床擦れ、屈曲拘縮、腰椎圧迫、痔などの悪化

義足で(特に両足で)生活することは、想像より遥かに辛いし大変なことです。
いっそのこと、義足で生きていく選択肢を捨てて、車椅子で人生を歩む。
この選択もアリじゃないかなぁと思います。何も恥ずべきことではないかと。
実際に僕はずっと車椅子生活を送っています。しかし、両大腿切断者を見る世間の目は、これを読んでくれている皆さんの想像以上に刺さります。どこに行っても多くの場合、まず足を見られます。その現実に耐えて生きていかなくてはいけない。精神的にすり減るので、気丈でないと、人によっては鬱病や外出恐怖症になるかもしれません。
あなたがもし両足切断者だったら、車椅子に乗って、ひとりで外に出られますか?
毎日、車椅子に乗って会社に行き、たくさんの健常者の中で仕事ができますか?
ひとりで買い物に行った場合、買いたいものを諦めないといけない想像はできますか?
先ほど述べた通り、両大腿切断者にとって最も怖いと感じるのは世間の目です。
しかし、この怖さや辛さを乗り越える秘訣を僕は知っています。
それは、頼れる人や環境を作ることです。
いちばん心強いのは、家族やそばに寄り添ってくれるパートナーです。
次に環境も大事です。居心地の良い場所があれば、心を休めることができる。
決してひとりで生きようとは思わないでください。頼れる人や環境を作ることで、自分を強くします。
車椅子は負けとか可哀想とか不便だとか、直接言われないにせよ、そんなふうにしか感じることができない他者の目は、気にしないのが一番です。
義足も車椅子も万能じゃない。
でも、人生において『何かしらの価値を生み出してくれる道具』です。
杖にせよ車椅子にせよ、頼れるものに頼って人生を歩んでいけばいいと思います。
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